2006/12/27

Such a bad experience never again

エリカからの電話のメッセージはいささか唐突であった。

僕はなんだかよくわからなくなって、とりあえず部屋の棚にあったバーボンをコップに注ぎ、ぐいっと飲み干した。

確かにエリカが僕の居場所を見つけるのはそう難しいことではないはずだった。
そもそもコンラッドは彼女のお気に入りだ。僕がここを取ったのも、他に「大人が泊まるのに十分まともな」バンコクのホテルの名前を聞いた記憶がなかったからだ。

さあ面倒くさい事になってきたぞ。

少し酒が回りクラクラしていた。だからシリアスに考えこんでいたといえばまあ嘘になる。でもとにかくエリカは何故??

奇天烈な現実と空想の境。。

テレビをつけて暫くぼーっとしていた。ニュースキャスターがタイ語でおそらく「今年の気候は異常なことになっています」というようなことを話しながら、各地の洪水やストームの映像を流していた。

ベッドに横になっているうちに、少しウトウトしていた。


そこに突然チャイムが鳴った。急いでガウンの紐をしっかりと締め、覗き穴を見ると懐かしい顔が見えた。

エリカだった。

ドアをあける。

「久しぶりの再会ね。」

彼女は拍子抜けするぐらいあっけらかんとした笑顔でそう言った。




(作り話 つづく(予定です))








閑話休題。

007「カジノ•ロワイヤル」、日本でも007最高傑作といわれるぐらい評判だったらしいですね。

僕もDVDでもう一回観てもいいかなと考えているぐらいだから納得。ちなみに昔の記事でソニー製品ばかりが映画の中に登場することに文句を言ったことがあるけど、どうもソニーのストリンガーCEOはこれこそ『プロダクト・プレイスメント(企業の商品を目立つように配置する広告手法)』モデルと言っていたそう。ソニーピクチャーズは007欲しさにMGMを買収したと言われているという話を聞いて、「そーかー、ソニーのおじさん達もジェームスボンドに憧れたわけね。その気持ちよく分かるよ」と思ったのだけど、垂直統合のビジネスモデルのため、とか聞くと少しげんなりしますね。映画見ている人達はソニーが期待しているよりずっと冷めてると思いますよー。

今日ちょっと辛口なのは(いつもですか?)用事があるためにいつもよりかなり早く頑張って起き、目をこすりこすり朝まだ暗い中駅に行ったのに「今日はストです」との掲示にがっくりしたわけなので。。駅の窓口でてんやわんや対応している駅員達をみて、あーもうなんかほんとトホホ。。。ストしたせいで普段より職員の業務量が増えて大変なんてほんとバカみたいじゃん。ストしたくなる気持ちも少しは分からなくもないけど、これは近視的愚かさ、フランス社会の病魔。労働者の権利を否定するつもりはないけど、ともかくフランスではマルクスがまだ存命なようで、「労働者は大資本家に搾取され続けているのでいつか革命を」というイリュージョンを疑いもなく持ち続けている希有な国だと思います。昔誰か有名なフランス人が「フランス人は根本的に共産主義者である」といったという記事をみたことがあって、自由主義国家フランスが共産主義てドウイウコト??と思ったりもしたけど、住んでみればよくわかるものどすえ。

利潤に占める労働分配率を上げたら税収と配当と再投資が減ってますます社会が窮屈になるのに、とりあえず俺たちの給料をあげろ、というのはおかしいよなあと思うけど、そんなマクロ的説明をいくらしても、それは資本側の論理であり「ムズカシイ本(説明)よりまず明日のパンを頂戴」てことでこういうことになるんだろうか?「本よりパン」て昔東京の地下鉄でよくみたポスターにあった、確か必要な教科書もちゃんと買えない途上国の子供達の窮状を訴えたキャッチコピーで、それは僕の心にかなり響いたけど、でもそれって途上国の話な訳で。。

ちなみに昔僕がベルギーに住んでいたときにベルギーのフラッグシップ、サベナ(SABENA)航空がストを数週間やっていたことがありました。ニュースでは連日その膠着模様を放映していたんだけど、結局サベナ、それが遠因で倒産しちゃった。権利を主張したおかげで権利を失う、てなんかホント切ないですね。ちなみに昔ベルギーの友人に”SABENA” とは何の略か教えてもらいました。彼は笑いながら”Such A Bad Experience Never Again”だって。あーなるほど。

Such a bad experience never again

乱文を失礼いたしました。


※先々週に書いてほったらかしにしておいたものをアップしたものです。だから「スト」は先々週の話です。



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2006/12/25

コンラッドホテル

バンコク国際空港に到着する。

タラップを降りると、ねっとりとした熱気がシャツの中に入り込み、異国に来た事を実感させる。

もう日も沈みかかった午後5時、とりあえずホテルに向かうことにした。

ホテルはバンコク•コンラッドをとった。

外観は金色に煌々とライトアップされ、なんか場違いな感じもするものの、中はシックなインテリアで、バンコクの喧噪を少し忘れさせてくれる。

オリジナルのラウンジミュージックがホテルの中で緩やかに流れているのが聞こえた。このCDをアリスへのみやげにしよう、とも考える。

部屋のベットからはガラス越しにバスが丸見えだが、一人なので気にはならないだろう。

キャリーケースの荷物を一通りあけると、ベッドで天井を見つめながらひとしきり考えた。

...。

エリカはここタイにいるはずだ。でも万が一にも彼女に会ったとしてどうする?僕がここに来たのは、エリカに会うため、というよりもむしろフクロウへのシカエシのためなのではないのか?そうはいっても僕はシカエシなんて柄でもないし。。

きっとタシカメタイのだ。それだけだ。フクロウもここに来ているのだとしたら、会って話せば良いだけだ。それでパリへ帰ろう。

フクロウというビジネスパートナーを失った今、僕の事務所も、もしかしたら、たたまなきゃいけないかもしれない。いやそれとも、他に頼れる奴がいたかな?

...。

暫くそんなことを考えてみたが、考えがまとまる風でもないので、外の空気を吸いに行くことにした。

ホテルでも食事はとれたのだが、タクシーの運転手にカオサンへ一走りするよう頼んでみた。運転手は少し怪訝な顔をしつつも、安宿街まで車を走らせてくれた。

カオサン、この喧噪は懐かしい。

カオサンの中心街をちょっと外れた通りにイスラエルの若者達が集まるバーがある。独特の雰囲気で、二十歳の頃に入った時は少し気後れがしたものだ。

そのバーに久しぶりに行ってみることにした。

そこは兵役を終え、厳しい現実から逃げるように異空間のアジアへとたどり着いたイスラエルの男や女の溜り場であった。

「人が銃で撃たれる瞬間をみたことがあるか?」ラリッた目つきの男は自分のこめかみに銃をあてるジェスターをしてみせる。

僕は、ないけど想像はしてみると応え、後はTVモニターに映るサッカーマッチを眺めていた。
シンハービールのミニボトルを三本あけ、そのバーを出る。


ホテルに戻ると部屋の電話にメッセージが残されていた。

間違いなくエリカの声だった。

「誰にもこのことを言わないで。あなたも私も追われているの。」




(作り話 つづく(と思われます))



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2006/12/22

フクロウ

バンコク行きの飛行機で、ボクはただひたすら眠りこけた。数日続いた徹夜作業のせいで、心身共にボロボロだったのだ。

二列後部席ではまだ幼い子供を連れた母親が、周りに申し訳なさそうに子供をあやしていた。僕はそんなことにたまに気付きながらも、眠りのノクターンに沈んでいた。

タイには二十歳になる前くらいの頃に一度行ったことがある。 きっと若者の多くが試みるであろう「アジアと自分発見の旅」のためだ。自分を発見したかといえばそんなことはなく、未だに自分のことはまったくわからないように思う。タイはメシがうまい、まあそのことぐらいはその時わかった。はじめての一人旅に浮かれたボクは、世界中からバックパッカーが集まるカオサン通りの喧噪の中、露店で買った海賊版CDを手にふらふらと酔っぱらって一人前の気がしていただけだった。

その後ロクにシュウカツもせず、就職に失敗した僕はパリへ渡った。パリになにがあるか知らなかったし、わからないからこそ選んだのだ。夢を求めてアメリカに渡るなんてなんか陳腐だ、そんな意味の無い反抗心もあった。

パリに渡ってすぐに滞在ビザが切れ、いわゆる闇労働をせざるをえなかった。闇といっても恐らく労働法以外は法律を犯していないのだが、表立って活動することもできない。皿洗いとか、ちょっとしたガイド業とか、あとはよく覚えてないけど手に入る仕事は何でもやった。


そんな日々が続いて少し疲れ気味だった僕は、ある日パリ・オペラ座近くのピアノ・バーで一人酒を飲んでいた。

隣のテーブルではモジャモジャ頭の大男が数人の女性と大声で笑って酒を飲んでいた。

隣の男は僕に気がつくと、せっかくだから一緒に酒をどうだ、と誘ってきた。
パリに住む異邦人という立場としては二人とも共通していた。だから東洋人の僕のことが気になったのかもしれない。

暫く二人で他愛もない世間話をしていた。僕の話にも少し上の空気味だった彼は、急に真顔になると僕の顔をまじまじと見つめてこう言った。

「オレと一緒に人探しの仕事をシマセンカ?」

どこのアクセントかわからないけど、フクロウはそう切り出した。

僕とフクロウとのビジネスの始まりだった。



(作り話 つづく(と思う))




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2006/12/21

エリカ

エリカとフクロウ、お互いを紹介したのはまさにこの僕だった。

紹介というにはいささかブシツケに過ぎた感もある。カフェでたまたま「同席」したというほうがむしろ正確だろう。

僕の横に座ったエリカに、フクロウは「どうも。」と吃ったように言い、後は遠くの方を眺めながら葉巻を吸うだけだった。会話が弾むはずもなく、僕とエリカは先にカフェを出た。「つまらなかった?」「別に」。

その後エリカと僕の間でフクロウの話題が上ることはなかった。またフクロウと一緒に仕事をするようになり、事務所で僕がエリカの愚痴を言う時だって、フクロウは「あくまで一般論として」と常に前置きをおいた上で彼なりのアドバイスをくれるだけだった。

「あくまで一般論として、オカネもガクもコネもなしにパリで成功しようとする無謀な男に、女が本気でついてくると思うかい?ブロンドだってちゃんとオトコを見抜く事ぐらいできるのさ。」強いクセ毛で黒髪の彼はブロンドによほどコンプレックスがあるのか、ことあるごとにブロンド、ブロンドと呻いていた。

フクロウの先入観は残念ながら少し間違っていたと思う。エリカはとにかく賢かった。賢すぎてガクがない僕にはいささか窮屈でさえあった。

だから僕が彼女の素行に疑問を抱き、一つ質問を投げたとしても、それは彼女から僕への十の手痛い質問となって返ってくるだけなので、僕は彼女が何をしているのかあまり把握していなかったし、把握しようともしていなかった。

そして彼女が僕のもとを去ると伝えてきた時も、僕はそれまでのことはおろか、僕のもとを去る理由さえも聞かなかった。もう今となってはどうでもいいことだ、そう思って電話を切ったのだ。

彼女との別れは丁度僕とフクロウのビジネスが軌道に乗り始め、クライアントの期待に応える自信がつき始めた頃だった。オンナのことよりも仕事、僕は虚勢をはってみせた。



僕の「疑い」はエリカとフクロウの「女と男としての関係」に関する事ではなかった。百歩譲って二人がそういう関係であったとしても、もう今となってはどうでもいいことだ。


僕の関心は、エリカが着々と"それ"を進めていたのではないか、ということにあった。恐らくフクロウはそれを担いでいたはずだ。僕のカンが正しければ、それはバンコクで進められているに違いない。

タイの首都バンコクは彼女の好きな街だ。ことあることに僕にバンコクの話をしてくれた。一方でフクロウが我々の目的地として指定したクアラルンプールにエリカは縁もユカリもない。フクロウの話はきっと僕に対するまやかしだ、そう思った。

とにかくクアラルンプール行きのチケットのことはどうでもいい、すぐにバンコクへ向かおう。


僕は空港行きの電車を待つのがとてもまどろっこしいと思い、駅の前に停まっていたキャブに空港へ急ぐよう伝えた。

ルノーの中古をムリヤリ業務用に用立てたかに見えるそのキャブは、不機嫌なエンジンを一噴かしするとパリの北西へと向かった。





(作り話 つづく(かは分からない))



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2006/12/20

パリ北駅

フクロウとの約束の時間はとうに過ぎていた。

ホテルのフロントと呼ぶにはいささかクタビレたその待ち合わせ場所には、読み古された昨日付のフィガロ紙が置かれていた。手持ち無沙汰で手に取るが、文字を追っても頭には入らない。

眠たげなフロントの男に、フクロウを見なかったか、聞いてみた。「フクロウなら結構前に出て行ったんじゃないかな」。しまった。僕はあせってフクロウの携帯に電話してみたが、繋がるはずもない。

フクロウの部屋番号を無理矢理聞き出し、301号室に向かった。廊下の灯りをつける。鍵は開いていた。荷物は持ち去ったようだった。飲みかけのスミノフのせいなのか、部屋全体が彼特有の酒臭さに覆われていた。

急いでフロントに戻った。ホテルのカードに「最寄りはパリ北駅」とある。あいつはどこへ行くにも電車なんだ。

「フクロウが戻ったらすぐに教えてくれ」気抜け顔が鼻につくフロントの男に携帯番号を書いた名刺と10ユーロ札を渡すと、僕は急いでパリ北駅に向かった。

駅に着く。朝のツンと張りつめた空気と、ターミナル駅特有の喧噪の中、このなかでフクロウを探すのはとても無理だなと悟った。

...。

ヨーロッパ各地やアジアから来たと思われるツーリストの群衆に混じり、一瞬あのエリカを見たような気がした。

エリカはまだパリにいたのか???僕はエリカと思われる残像のなかでそのことに気が付き、ハッと振り返ったが、彼女はもうそこにはいなかった。


エリカとフクロウ、エリカとフクロウ。そう繰り返し唱えているうちに、ある疑いが持ち上がってきた。





(作り話  つづく(はず))



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2006/12/16

クアラルンプールの「カジノ•ロワイヤル」

深夜の事務所に電話が鳴り響いた。

ボクが眠い目を擦りながら電話に出るとフクロウからであった。「おい、明日を逃すともうパリからクアラルンプールへと続く航路は完全に断たれるからな。モンマルトルのコヨーテホテルで午前八時、遅れるなよ」。
僕は分かったと小さい声で応えて長椅子から立ち上がり、時計をもう一度確認した。

キッチンへ飲み物を取りにいく途中、応接のソファーでアリスが紫色の毛布に包まって小さく寝ていた。僕はそっと照明をつけた。「ごめんなさいね。昨日の彼の話が頭から離れなくて、この事務所へ戻ってきたの。」アリスはそう静かに囁いた。

僕は彼女の肩が小さく振動しているのに気付き、冷蔵庫からコロナ・エキストラを二本取り出してフタをあけると、そっと一本を彼女に渡した。何も心配はいらない、すべてはうまくいくさ。そういう僕の肩にアリスの長い髪が静かに触れるのがわかった。。
(作り話 つづく(かもしれない))


閑話休題。

ちょっと来年のいずれかのタイミングで日本に帰るかもしれないので、こっちでの航空券の相場を調べてみた。

学生の頃は日本からヨーロッパに行くときにはいつも東南アジア系航空会社を使っていた。そうすると安上がりな上についでにストップオーバー先の国で観光でき、放浪旅行者の僕にはとても便利だったからだ。

そこで今回も久しぶりに東南アジア系で、と思ったら、タイ、マレーシア、ベトナム経由、いずれの航空会社も思っていたより高くて、ANAやJALのほうがずっと安価なことに気付いた。大寒航空やアエロフロートでもANAやJALの100ユーロ増位。
まあ確かにこっちの人からしてみれば日本の航空会社も「アジア系航空会社」のうちの一航空会社にすぎない訳で、ブランド力はないのかもしれないけど、それにしても大寒航空より安いってのは不思議。

そういえば学生の頃、ヨーロッパから日本へ帰国する際にその経由地であるクアラルンプールの空港で友人と待ち合わせしたことがあった。東南アジア旅行をしていた彼と落ち合って一緒にクアラルンプール観光をするためだ。その旅行中では宿も中国人街の旅社一室しかとれず、窓のないうす汚い六畳部屋のベットでお互い背を向け合って寝たこともあったな。

それでなんで今その時のことを書いているかっていうと、 空港で会ったときに彼がえらく興奮していたことを思い出したからだ。

彼が話してくれた大凡のストーリーはこうだ。「街で英語が上手な若い女性と知り合い、一緒に観光をしていた。その彼女が、一緒にギャンブルでお金儲けをしないか、という。しかも俺はタネ金を出さないでも大丈夫だという。半信半疑でついていった先でポーカーをやってみると、買ったり負けたりしつつも、彼女がテーブルの下で出してくれたサインのお陰で結局数十万円もの儲けがでた。だが、ゲームの相手は現金の手持ちがないので、俺のクレジットカードを一回預かり、そこに振り込ませてくれという。そこでクレジットカードを預けようとしたが、お前と会う時間が迫っていたので、またすぐそこに戻る約束をし、後ろ髪を引かれる思いで空港に急いだという訳だ。」。

僕は なんだかとてもおかしくなって、丁度手にもっていた、地球の歩き方の「カジノ•ポーカー詐欺」のページを興奮気味の彼に読ませてあげたのだ。

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2006/12/10

欧州ファッションの現状

というタイトルで、ヨーロッパのモードの息吹を感じさせる、エスプリをプリッと効かせたエッセイを書くべくボク(ちょい辻仁成)は思案を重ねていた。外に出るとツンと肌を刺す寒さに思わずマッキントッシュコートの襟を立てる。街へと向かう人々とすれ違いながら僕はある場所へと急いだ。そう僕らが出会ったあの場所へ。。すっかり落葉した白樺の木下で葉々をガシャリガシャリと踏みしめながら、あーここで一緒に落ち葉ひろいをしたこともあったねとふと思い出す。そしてもう戻らない日々を落ち葉に重ね合わせ深いため息をつくのであった。。。。(うそ)

と、そんなおっきなタイトルについて書くのはやっぱり骨が折れるので、最近の「僕の」@欧州ファッションの現状について書きマース(おいおい。辻仁成撃沈)。

最近は若干おしゃれ脱力気味にもっぱらZARAとかで安めのお買い物。フランス人も一般的にいってそんなにファッションにお金使うわけではないので、郷に入れば郷に従えですね。ちなみにEUのなかで給料に占める服飾費の割合が一番高い国はイタリアだそうです。さもありなん。

昔ショップスタッフをしていたことがあったのですが、バイト代 ≒ 服への出費 という状況になるので貧乏学生だった僕は長くは続けられず。。いつか思う存分おしゃれするぜと思っても、歳をとっていくとまた別の消費社会に組み込まれていくんですよね。

あとボクものをなくし 易いんです。仕事先に洒落こましてカフス付きシャツ着ていってもついつい腕をまくり上げる癖があって、その結果付けてたカフス達よ果て今何処に。。
だからこないだZARAに行ったとき、なくしちゃってもいいように同じカフスを二個くれって頼んだんです。そしたら一ペアしか持ってこなかったので「ノンノン、カフス二個」っていったら「二個ちゃんと入ってるよ」とちょっと噛み合ず、、あーフランス語やり直し。

ちなみにこないだZARA特集みたいな番組でZARAの会長さんがテレビに出ていました。「出ていました」といっても工場の外からほとんど隠し撮り状態。どうも彼は極端な露出嫌いだとか。ちょい昔のホリエモンの対極ですね。

番組ではZARAのデザインチームに「これって有名ブランドのパクリじゃないですか?」て質問をしていました。デザイナーは涼しい顔で「パクリじゃなくてインスパイアです」と答えていたけど、なんかそんなことおっしゃっていた日本人画家が昔ニュースに出ていたなあとふと思い出した寒空の真夜中、ちょい酔っぱらいで脈絡破壊気味のボクとそれを読んでるあいまいな日本のあなた。

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2006/12/08

ウェブ初体験

最近は世のコンピューター•リテラシーもだいぶ進歩しましたね。
なんてたってこのボクがブログ書いている訳ですから。

でも「ブロガー」て呼ばれるのはなんかコッパズカシイ。 メールを書いていても「メーラー」とか呼ばれないのになんでブログ書くとブロガーなのか。なんかマジンガーとかイカンガーと一緒の「ガー」がつくなんて僕はごめんだ。

webに初めて触れた時の思い出ってそれぞれあると思うけど、僕は大学二年生の時にキレイな先輩が「パソコンでホワイトハウスが見れるらしいよ」とおっしゃっていたので、 別にクリントンの顔が見たい訳でもなかったのだが、ぜひ見る方法を教えてくださいなと彼女に請うたわけです。

でも結局ホワイトハウスのホームページをどうやってみつければいいのか二人ともわからず。とりあえず手元にあったカルビースナックの袋の後ろにwebアドレスらしきものを見つけ、そのHPをみてみたのが僕の初web経験でした。

それが暫くしたらメールアドレスを持つまでになって、友達に「ホットメールって超いいよ!」って教えてあげたんです。そしたらそいつ翌日会ったときにちょい不機嫌だったので、ちゃんとホットメールみたか聞いてみたら「ふざけるなーお前が言ってたページで男と男が絡みあってたぞ!」とおっしゃっていて、それってHotMaleおいおいスペルが違うじゃん、って微笑ましいエピソードもありましたね。

そんなちょっと甘酸っぱいWEB石器時代の思い出、みなさんもありますか?

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2006/12/07

近い。

こちらも結構有名みたいですけど。。

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2006/12/04

無理っす。



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2006/12/02

007の新作「カジノ・ロワイヤル」を見てきた。

007、好きなので、毎回新作を楽しみにしてる。
毎回といっても2〜4年に一本ってペースだから、大体007熱がとっくに冷めた頃に新作をみることになる。

前作までは、いくら銃弾があたっても死なない敵役とか目視不可能になっちゃうボンドカーとか、どんどん設定がエスカレートしてきて、今度はボンド自身がいくら銃弾あたっても死なないゾンビになっちゃってたらどうしよう、と少し心配だったけど、今作は結構まともなラインに落ち着いていたので安心。

「カジノ・ロワイヤル」はボンドがスパイとして一丁前になる前の話。今回から新しくボンド役になったダニエル・グレイグが結構ドジをやらかすので「おいおいピアーズ・ブロズナンはもうちょっとクールに決めてたぞー」とか軽くつっこんでたけど、それはまだ00(殺しのライセンス)をもらったばっかしという設定なので仕様がないのだ。

ちなみにスパイになりたてのボンドはソニー製品が大好きなようだ。初ボーナスで買ったのか。彼が愛用するノートパソコンやらデジカメやら携帯やらでかでかと"sony"とか"vaio"とかって、これってCMかい、と思いつつ。でもボンド、そのパソコンのバッテリーは発火する恐れもあるみたいだからカスタマーセンターに確認したほうがいいと思うよ。

ボンドといえばいつもオメガのクロノ(注:今作でも、ボンドガール:「あなたがつけてるそれってロレックス?」ボンド:「いやオメガだぜ。」てredundantなやりとりあり)を付けてブリオーニをかっちりと着こなしててかっこいいし、やっぱりボンドが使っているとなると、ちっと欲しくなったりもする。

ちなみにEU(フランス?)内ではこういう映画内における不自然な商標の表示を規制しようという動きがあるみたいですね。

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2006/12/01

「米国金融資本陰謀論」について少し考えてみた。

元外務官僚の原田武夫さんがweb上で公開している連載に『騙されない日本人のための投資戦略』というのがある。
深い分析をされている記事が多いので非常に興味をもって読まさせて頂いているのだが、一方で正直うーん、と首を傾げることも多いのです。というのも僕はいわゆる「陰謀論(注:原田さん自身は陰謀論者であることを否定されています)」については酒のつまみとして聞くのは好きだけど、それでも(「元」であっても)肩書きがある人が発言するには十分慎重にする責任があると思うからだ。

と抽象的に書いてもよくわからないと思うので具体例をあげてみると、11/17付の記事にこういうこと(↓)が書かれている。

(引用はじまり)
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............ しかし、私は決してそうは思わない。——なぜなら、その後、2期目に入ったブッシュ政権は何かに追われるかのごとく、実に「よく働いた」からである。2004年当時、日本は前年(2003年)に新興市場銘柄を中心とした「株式分割ブーム」に沸いた直後であり、マーケットではやや手詰まり感が見られ始めたころであった。これに対し、NY市場から盛んに聞こえてきたのが、「日本でM&A旋風を起こし、徹底した日本買いをすることになる」という情報である。一介の外務官僚に過ぎなかった当時の私は、そういわれてもなかなかピンとは来なかったことをここで白状しておきたい。日本の株式マーケットで「M&A相場」がやってくることなど、およそ「自明かつ想定内の出来事」ではなかったのである。
...........(略)そして、ブッシュ大統領が2期目に就任した2005年。永田町・霞ヶ関では突如として「三角合併解禁のための会社法改正」論議が噴出し始めた。「外資=黒船による日本乗っ取り」とのお決まりの感情論が叫ばれる中、この改正会社法は施行を1年後の2006年ではなく、 2007年の5月1日からという条件付きで成立した。

(引用おしまい)
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まず「日本でM&A旋風を起こし、徹底した日本買いをすることになる」てあるけど、日本のM&Aはいわゆるin-in(国内企業同士の吸収、合併)が現在でもかなりの大部分を占めており(まあそれが三角合併解禁の声につながっているというのは確かにあるけど)、仮に三角合併(注:思いっきり平たくいうと、日本にある会社をいちいち現ナマ(外貨から日本円に両替して)じゃなくてその外国の会社の株券を渡せば買えちゃうってこと。)解禁してもその傾向はあんまかわらないだろうって言われている。

だいたいもってそもそも三角合併さえもできなかったってのが企業にしてみれば恐ろしく不便だったわけで、そんなの解禁してあたりまえだ、と個人的には思う。
原田さんは「....2005年。永田町・霞ヶ関では突如として「三角合併解禁のための会社法改正」論議が噴出し始めた」と書いているが、ちょっとその前まで金融業界にいたからわかるけど、解禁の話はその前からずーっといわれていて、むしろ業界は早く解禁してくれよー、とむずむずしていたのだ。「一介の外務官僚に過ぎなかった当時の私は、そういわれてもなかなかピンとは来なかった」のもそれは仕様がないと思う。

だから陰謀めかして書いてあるけど、こんなの陰謀でもなんでもない。
また「徹底した日本買い」てのはいろんなとこでよくみかけるフレーズだけど、最近は外資の日本株買いはずいぶん落ち込み気味だ。ていうのも、もう日経平均もずいぶんあがちゃって、PERも各国との比較で言えばちょっと高いぐらいなのだ。だからどんなに三角合併解禁しても、いろんな手をつくしても、むしろ「日本の会社買ってください!」て頭下げてお願いしたとしても、ボランティアじゃないので投資期待収益率が低ければ「日本買い」は残念ながら起こらない。

それから原田さんをはじめとした郵政民営化懐疑論者は「郵政民営化は米系金融資本による日本乗っ取り計画の総仕上げ」、てよく言うのですが、日本企業の株価がその前に(本源価値に対して)割高になっていては乗っ取られるどころか、残念ながら資本が外国に逃げていってしまいますね。(余談ですが、これをまた元日銀の木村剛さんをはじめとした人達が「キャピタルフライト」とかいってセンセーショナルに騒いだりします。お金に羽が生えてベーリング海峡を飛んでいくみたいで、絵的に想像するとなんか楽しいですね。話がわきにそれるのでこれは省略)

ウオール街のユダヤ人脈を中心にした米国金融資本が世界経済を陰であやつっており、日本のバブル発生からバブル崩壊、97年のアジア経済危機、はたまた円高円安すべてかれらが「奥の間」で決めて実行に映されてきているのだ!と騒ぐのをいわゆる「米国金融資本陰謀論」といいます。ほら本屋に平積みされている「世界同時大恐慌が起こる!」とか「ウオール街日本乗っ取り計画」(ありそうなタイトルを勝手に付けてみました)は大抵この類いですね。

まあひいき目にみて、ある程度これらに近いことが実現することで利潤を得る企業と政府また彼らのロビイストの間で少しぐらいこんな話をしていて全然おかしくないですね。ていうか普通にあるみたいですよ。でも普通にあるってことは、「陰謀」ではなくてこれはむしろ「戦略」ですね。「戦略」て言葉におきかわってしまうと、なんか世界の秘密を知ってしまったドキドキ感が薄れてしまいますが、まあ日本はむしろこの「戦略」がなさすぎるので、少しはアメリカみたいに「陰謀を企ててる!」と騒がれるほうが、一目おかれている感じがしてむしろいいんじゃないかと思うのは僕だけでしょうか。

と長々と書きましたが、このテーマについてはいろいろ書きたいことがあるのでまた日をあらためて追加で書けたらと思います。


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2006/11/23

訂正(さて、)

2004年の台湾総統選挙に勝ったのは国民党ではなく、民進党の陳水扁なのでした。

で、すごい僅差(wikipediaによると得票率差僅か0.22%だったとのこと)だったもので、僕が台湾にいたときは選挙無効、総統選やり直しを求める国民党支持者のデモがすごかったのです。総統府前はバリケード封鎖され、拡声器、怒声、号泣し抱き合う女性支持者たち、と。ぼくはただの外ものなのですが、お前は民進党側か!とつるされてはなんなので、国民党の旗をもらって、ぷらぷらしていました。そこで、彼らを政治に駆り立てるこの恐ろしいほどのエネルギーはなんなのだ、とふと考えながら、ちかくの屋台で焼き鳥やお好み焼きみたいなものを食べながら考えていたもんでした。

帰りの飛行機で一緒だった件の民進党の幹部によると、台湾のメディアはほとんど国民党系、つまり中国本土側からの有形無形のバックアップを受けているそうで、そういわれてみれば、今回の選挙無効報道もずいぶんセンセーショナルな扱い(言葉はわからないけど)をしている雰囲気だったな、と。
だからメディアによる偏向報道を鵜呑みにした彼ら国民党支持者が狂信的になるのです、という短絡的な結論にはならず、まあ想像を絶する台湾人の苦悩と葛藤があるからこそ、政治にみなを駆り立てるのだとは思うのです。

しかしながらこの外側からの冷めたアナリシスは外の人間だからこそできることで、実際この「閉ざされた言語空間」の中にいると気づかないのです、ってそれって日本がまさにそうじゃん、と思うんだけど、まあそれはまた気が向いたときに書き留めるとしよう。

2006/11/18

善悪の彼岸

今回ブログを始めるに際してタイトルをつけなきゃいけなかったんですが、何かエスピリの聞いたネーミングがないかなあと、それで僕の好きな哲学者の代表作から名前をいただいてみました。といっても正直に告白するとこの「善悪の彼岸(仏題: par de la bien et mal)」、まだ読んだことないんですよね。それで、いまネットでさがしてみたら英語全訳があったので、後でよんでみたいと思います。無事よみおえたらあとで感想でも書こうかなと思います。

ニーチェて、キリスト教は奴隷の宗教だ、神なんて死んだんだよ、だから宗教なんてそんなものはくそくらえで、みんな自分の意志で立ち上がれ!とまあマッチョな哲学なんです。
大学生のころ、神は死んだなんてずいぶんパンクなこと言うなあ、と思ってもう一個の代表作「力への意志」を読んだんです。今となっては内容はほとんど覚えてないんですけど。

ヨーロッパはこの奴隷の宗教であるキリスト教のおかけで思考停止に陥っている、だから困っているのです、というようなことを言っていた気がします。日本にいると「ふーん、そうかね」とあまりピンとこないのですが、実際ヨーロッパにきてみるとニーチェさんのいうこともわかるような気がします。(僕は宗教を信仰すること自体は悪いとは思いません)

ニーチェがナチズムを生んだとか批判もあるみたいですが、まあそこらへんはどうなのか正直よくわかりません。
いずれにしてもニーチェって既存のエスタブリッシュメントに反発したがる若い頃にはすごいしっくりくる哲学なんだと思います。



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2006/11/17

さて、

「はじめに」に書いたとおり、覚え書き帳なものですから、気が向いたときに落書きノートにメモするような気持ちでたわいもないことを書いていきたいと思います。

僕がよくみるサイトに「溜池通信」というものがあります。溜池通信をみていたらさる6月に日米台三極対話が行われたという記事があり(古い)、ちょっと一昔前のことを思い出しました。

当時の僕は(いまでもあまりかわりませんが)、放浪癖が強く、暇さえあれば海外をプラプラ一人で旅していました。あれは確かタイ旅行の帰り、エアーチャイナ(だったかな)を使ったもので、台北でストップオーバーしました。

その日はたまたま総統選挙の直後で、確か僅差で民進党(だったかな)の対立候補が勝利し、選挙無効のデモで大騒ぎでした。
帰りの飛行機、新聞を読んでいたらとなりのおじさんが「今回の総統選挙をどう思う?」と日本語で話しかけてきました。彼は確か民進党の幹部で、息子が国務院のアドバイザーとかで、いろいろな話を聞かせてもらったのですが、彼が、沖縄米軍基地はいろいろと問題があろう、台湾に移転してもいいのだよ、台湾を日本の浮沈空母に、なんていっていたのを聞いて、へー、と思ったものです。

彼の提案には賛否両論あろうし、あまりに現実離れしているので是非をここで検討しません。それに日本のためにというのと同時に、いやそれ以上に、アメリカの核の傘に入りたいというのがあるのでしょう。でも日本て、本当の親友がいないの、どうせお金があるから付き合ってくれているんでしょ、って気がしていたのだけど、実は強い想いをよせてくれてる人たちがいたんですね、と思った記憶があります。

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はじめに

徒然なるままに書いていきます。

公開「備忘録」みたいなもので、思いつくまま、思いついたときに書いていきます。

引用する事実関係や名称に誤りがあるかもしれませんが、あまり細かいところは突っ込まないでね。



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