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2007/08/14

保守か革新か

お久しぶりです。

ブログを書くのは恐らく半年ぶりである。
当時読んでくれていた方々にとってもこのブログは既に忘却の彼方だろう。
まあそれでも構わない。というか仕様がない。
私の自己満足のためにやっているだけなので、次回のエントリーを書くのはまた半年後かもしれないが、ご勘弁を。
(ブログを書かない間も私は元気にやっておりますので御心配なく。近況が気になったらメールを頂ければ幸いです)

閑話休題。

私は日常極めて政治に関心のないふりを装っている。

しかしノンポリ(古い表現ですね)ではない。安保、外交、内政に関する書物には出来る限り接し、私なりの思索を続けている。
でも友人と互いの政治理念について議論をすることは極めて稀である。

何故か。

政治理念は宗教思想に極めて近いと感じる。イスラム教徒とキリスト教徒が互いにそれぞれの宗教の正当性を吟じてもさして建設的な議論はできようがない。それと同じ事だ。

注意して政治理念を語る人を観察すると大雑把にその彼、彼女が右(保守)の立場か左(革新)の立場に立っているのか、それはわかる。それより先の彼、彼女の具体的主張は、かいつまんで聞くだけだ。右が左に、左が右に、互いの主張をぶつけ合っても、それは思想的自慰行為でしかない。

私はずっと自分は右なのか左なのか自問してきた。
結論はこうだ。私の政治的立場は、どちらでもない、もしくは両方だ。
私が政治に関心をもちつつ政治思想をあまり語る事がないのは、それは右も左も結局は同じだと思うからだ。

右であれ、左であれ、究極の理想とする社会は、大差ない。世界中の人間が物質的にも精神的にも満たされ、戦争の無いユートピア状態である。そのユートピア願望は古くはサンシモンから始まり、20世紀初頭から世界各地で起こるマルクス革命とその失敗という結果をもたらしたが、それはあくまで方法論が誤りで、我々が理想とする社会像を築くのがいかに現実的に困難なのかを証明した、それだけのことだ。我々が理想とする社会像というものは、その20世紀最大の社会的実験の失敗を経てもなお変わっていない。

左側にたつ人間はそれでもなおユートピアは明日にでも実現できると信じる。防衛のためのあらゆる能力さえも放棄し、そして偏在する富が万民に満遍なく行き渡る社会を実現しようとしている。しかし今日明日の景気対策、今日明日の軍事的脅威に対してあまり有効な解答を持ち合わせていない。

他方、右側にたつ人間は近視的世界観からなかなか離れられない。現実の脅威、現実の戦争、現実の貧困、これに脊髄的反射で対策を打とうとする。しかしそもそもそれが何故起きてしまったのか自覚なく、俯瞰的に状況をみることができない様は、まるで3歩歩くと忘れる鶏を思い起こさせる。しかし現実の政治、政策というのはそういうものなのだろう。ユートピアを語るだけでは今日、明日家族(国民)を様々な脅威から守り、安心して食べさせていくことができない。かくして現実の政治の現場では往々にしてどの国においても保守勢力が多勢を占める。まあそれは当然といえば当然の事だ。

そうなると政治理念としては両方の視点を持ち合わせた「中庸的立場」がよいのではないか、とも思う。しかし現実の社会で中庸というのは言い換えればノーコミットメントと同じ事でほとんど何も意味しない。そう考えると私は中庸でも右でも左でもなく、すべての政治理念を包含する立場でいたいと考えるが、これがまた難しい。リアリズム(ここでは保守とする)とイデアリズム(ここでは革新)の衝突は結局、宗教発祥の起源を同じくするイスラム教徒とキリスト教徒がお互いを啀み合い、テロとの戦いという名のもと血に血を染める戦いを今日繰り広げているのと同じように、そもそも我々は共通の理想をもつ同門の仲間達なのだ、という重要なことを忘れている気がしてならない。

だから結局私は政治議論を避けたがる。
難しいものですね。

つい最近またそんなことを考えさせられる経験があったので、久しぶりにこのブログに覚え書きとして書き留めることにした。

ではまた。

2006/11/23

訂正(さて、)

2004年の台湾総統選挙に勝ったのは国民党ではなく、民進党の陳水扁なのでした。

で、すごい僅差(wikipediaによると得票率差僅か0.22%だったとのこと)だったもので、僕が台湾にいたときは選挙無効、総統選やり直しを求める国民党支持者のデモがすごかったのです。総統府前はバリケード封鎖され、拡声器、怒声、号泣し抱き合う女性支持者たち、と。ぼくはただの外ものなのですが、お前は民進党側か!とつるされてはなんなので、国民党の旗をもらって、ぷらぷらしていました。そこで、彼らを政治に駆り立てるこの恐ろしいほどのエネルギーはなんなのだ、とふと考えながら、ちかくの屋台で焼き鳥やお好み焼きみたいなものを食べながら考えていたもんでした。

帰りの飛行機で一緒だった件の民進党の幹部によると、台湾のメディアはほとんど国民党系、つまり中国本土側からの有形無形のバックアップを受けているそうで、そういわれてみれば、今回の選挙無効報道もずいぶんセンセーショナルな扱い(言葉はわからないけど)をしている雰囲気だったな、と。
だからメディアによる偏向報道を鵜呑みにした彼ら国民党支持者が狂信的になるのです、という短絡的な結論にはならず、まあ想像を絶する台湾人の苦悩と葛藤があるからこそ、政治にみなを駆り立てるのだとは思うのです。

しかしながらこの外側からの冷めたアナリシスは外の人間だからこそできることで、実際この「閉ざされた言語空間」の中にいると気づかないのです、ってそれって日本がまさにそうじゃん、と思うんだけど、まあそれはまた気が向いたときに書き留めるとしよう。

2006/11/17

さて、

「はじめに」に書いたとおり、覚え書き帳なものですから、気が向いたときに落書きノートにメモするような気持ちでたわいもないことを書いていきたいと思います。

僕がよくみるサイトに「溜池通信」というものがあります。溜池通信をみていたらさる6月に日米台三極対話が行われたという記事があり(古い)、ちょっと一昔前のことを思い出しました。

当時の僕は(いまでもあまりかわりませんが)、放浪癖が強く、暇さえあれば海外をプラプラ一人で旅していました。あれは確かタイ旅行の帰り、エアーチャイナ(だったかな)を使ったもので、台北でストップオーバーしました。

その日はたまたま総統選挙の直後で、確か僅差で民進党(だったかな)の対立候補が勝利し、選挙無効のデモで大騒ぎでした。
帰りの飛行機、新聞を読んでいたらとなりのおじさんが「今回の総統選挙をどう思う?」と日本語で話しかけてきました。彼は確か民進党の幹部で、息子が国務院のアドバイザーとかで、いろいろな話を聞かせてもらったのですが、彼が、沖縄米軍基地はいろいろと問題があろう、台湾に移転してもいいのだよ、台湾を日本の浮沈空母に、なんていっていたのを聞いて、へー、と思ったものです。

彼の提案には賛否両論あろうし、あまりに現実離れしているので是非をここで検討しません。それに日本のためにというのと同時に、いやそれ以上に、アメリカの核の傘に入りたいというのがあるのでしょう。でも日本て、本当の親友がいないの、どうせお金があるから付き合ってくれているんでしょ、って気がしていたのだけど、実は強い想いをよせてくれてる人たちがいたんですね、と思った記憶があります。

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